先輩子育て院生、浜渦さんに聞く〈2〉行って、やる。できたものを、出す。


 今からおよそ30年前、博士後期時代に育児をなさっていた浜渦辰二教授(文学研究科・臨床哲学研究室)に、お話をうかがいました。今回は、当時の生活や、子育てや、研究のスタイルについてです。

(聞き手・文責:かつらのぐち)


〈1〉結婚するときカミさんが「バイトは全部やめな」と言ってくれた

生活のスタイルはどのようなものでしたか?

 博士後期課程2年目の11月に上の子が生まれたんだけどね。その時ってのは、私は基本的に大学に行って、色々勉強したり研究したりするようにしてたんです。だから子どもができても、子どもを保育園に預けて。保育園がさいわい、歩いて5分程度のすぐ近くにあって、朝8時から夕方5時まで。その頃は保育園は割とすぐに見つかりましたね。「学生でも」っていうか、カミさんが仕事持ってるからっていうのが、受け入れてくれる大きな理由になってたんじゃないのかな。産休あけ、8週過ぎてからすぐに0歳保育にやりはじめて。

 まあ、それまでの8週のあいだも大変でしたけどね。夜泣きしたら基本的に私が起きて、ミルクつくって、哺乳瓶で飲ませるという係になってて。母乳と人工乳も比較的早いときから併用してた。そのためにね、『暮らしの手帖』とか見て、今でもあるのかな?ヌークっていう海外のちょっと特殊なメーカーの哺乳器を取り寄せたりして(笑)。その夜泣きのミルクの役と、げっぷを出す係と、あとお風呂に入れる。沐浴は、カミさん一度も入れたことない。「こわい」とか言って(笑)。私ほら、手が大きいから。後ろから手を回すと、ちょうど耳をふさぐことができる。そして体洗ってやるってことができたから。

 ま、それで8週になって、保育園にやり始めて。朝、私が保育園行くまえにカミさんが仕事に先にでかけてたから、「行ってらっしゃあい、早く帰ってきてね。ごはん作って待ってるからね」って私が見送って、カミさんが出かけていく。ごはんは基本的に、ごはんとみそ汁は私が準備しておいて、カミさんが帰ってきてメインの料理をする。そんな役割分担で。朝ご飯もたいてい私が作ってたかな。それでカミさんが出かけたあと、ゆっくりちょっと後片付けをして、子どもを保育園に送って、バスに乗って1時間くらいかかって大学へ行って。4時くらいまで色々なんかやって、4時になったら「失礼します」と言って子どもを迎えに行って帰ってきて。5時半くらいには辿りつくんだけども、カミさん帰ってくるのは6時過ぎだから、それまでの間に夕ご飯とみそ汁を作っておく。洗い物は、毎回私がする。それ以外のことをカミさんがする。だから私が「これとこれとこれやってたよ!」って言ったって、「あたしはこれとこれとこれやってた!いばるんじゃない!」ということを言われてましたけどね(笑)。

 それでね、家から近くの保育園っていうのは、近くて利用するのは便利なんだけども、なんていうのかな、保育園として「子育て」をちゃんと考えているかというと、「別にそんな理念はなにもない。とにかく預かってます」というようなところだった。0歳から見てもらってるんだけども、小学校へあがる前の6歳までずっとここの保育園にやるんだろうか?ってことを考えたら、いや、もうちょっといいところがあるんじゃないだろうか、って。いくつか調べて回って、いい保育園を見つけて。それがルソーの『エミール』からとった「エミール保育園」。モンテッソーリ教育をやっている、そういうところだったんです。カミさんはシュタイナー教育なんかも興味を持ってたので、ちゃんと特別に子どもの幼児教育を考えているところに行かせたいということで、先に保育園を決めて、あとで職場の勤務校をその保育園の近くの小学校に決めて変わって(笑)。私が子どもとカミさんを車で送って、そこから車で大学へ行くようになった。で、やっぱり子どものお迎えに間に合うように帰ってきて、一緒に帰れるようだったらカミさんも一緒に、買い物してから帰ってくる。車は軽の赤い1台しかなかったから。ああ、だから、色々思い出のつまった、あの赤い車で、子どもの送り迎えはよくしましたね。


子育てで、「ここは大事にしよう」と思っていらしたところはありますか?

 私たちは、結構理念みたいなものを持ってたというか、持とうとしてたというか。カミさんはシュタイナーにしてもモンテッソーリにしても、エミールにしても、それから林竹二とか、そんなのを色々読んでたし、卒業論文は、クラスの壁をとっぱらってなくしている、教室のない学校というか、あちこちにばらばら集まってという、オープンスクールというのかな?そういうもので。カミさんは学部時代、特定の科目ではなく「教育学」を学んでいたからそういう本も家に結構あったし、『暮しの手帖』とか『婦人の友』とかも読んでいた。生活や暮らしをちゃんと作って、子どもの教育のこともいろいろ考えて、なんかいろいろ本を読んで…っていう頭でっかちな親だったんじゃないかな、二人とも(笑)。子育ても、どっちかというと細かいところからじゃなくて、そういう理念のほうから入ってるところがあって。私がずっと頼りにしていた本は、松田道雄『育児の百科』。あの本は、ほんとよく大切にしてて、あそこから学んだものは結構大きいかなあ。たとえば「風邪だと分かったら、病院へ連れていくな」とかいうのね(笑)。

 結構、保育園の先生とか小学校の先生とかとも…。あのね、小学校の保護者会っていうと、だいたい私が行ってたわけです。そうすると、ほとんどお母さんばかりで、お父さんはほんの数人、ぱらぱらって感じ。で、たいてい私が質問したり、意見を言ったりする。そうすると子どもが数日して、なんかその保護者会のことを聞いて、「お父さん!質問しないで!!発言しないで!!黙ってて!!!目立つから!!!」。もう、何度言われたことか(笑)。そういう親だったんだよね。だから先生のほうも、よく言えば「ちゃんと子どものことを考えている親だな」と一目置いてたみたいなとこもあるかもしんないけど、まあ悪く言うと「なんだかんだとうるさい親だな」というふうに思ってた人もいるんじゃないかと思うよね。そういう感じっていうのが、保育園でも小学校でも中学校でも高校でも、保護者会なんかに行くと、します。保護者会にやってくるようなお父さんっていうのは、ほとんど発言しないんだよね。お母さんたちは発言しないことはないんだけど、結構細かいことを言う。私は、「それって根本的にどうなの?」というようなことを言うわけです(笑)。先生も「えー、その…」というような。それが結構お友達の間に話がひろがっちゃって…という感じ(笑)。

 それから、新聞に書きましたように、うちは「パパ」と「ママ」がいるんじゃなくて、「パマ」が2人いるんだよという感じでずっとやっていたんだけれども、思春期になってくるとやっぱり親2人ともが同じような役割というわけにはなかなかいかなくなって。どちらかが、駄目なものは駄目と立ちはだかって、もう片方は寄り添っているというような、かなめの「役どころ」が違ってくる機会というのが増えていったなと思いますね。


勉強や研究にはどのような姿勢で取り組まれていたのですか?

 博士後期課程になると、「半年に1本、論文を書く」というノルマを自分で課して。まあ実現できた時とできない時とあるんですけども、基本的にはそれを目標に。助手をやったのも1年半だけだったんですけども、3本論文を書いたから、だいたいコンスタントにそんな感じで書いてきているかな。

 私は学生の頃から、いつまでになんとかしなきゃいけないという〆切は、だいたい守ってきてる。それを遅れるっていうことはまずない…というか、その〆切に合わせてあきらめちゃうっていうか。「まあ、私が今できるのはこれぐらいだな」っていう感じで(笑)。もうそこで見切り発車になっても、とにかく〆切っていうのがあるんだから、それまでにできることしかしない、って感じ。それまでにできたものをとにかく出す。そういう意味で、〆切というのを守れなかったということはないですね。

 元々は夜型だったけど、カミさんと結婚してからがらっと生活が変わった。カミさんの時間に合わせないとしょうがないから。カミさんと一緒の時間に朝起きて、一緒の時間に寝る。論文を書かなきゃいけないという時には昼夜転倒したりすることもあったけども、結局、子どもを送っていく、迎えに行くっていうルーチンワークがあるから、やっぱりそれに合わせないとしょうがない。1〜2日逆転しても、また戻さないと、というそんな感じで、朝型にだんだんなっていったんですよね。

 基本的に、大学に行って集中的に色々やって。ほいで戻ってきたらもう基本的に家庭のことがメイン。どうしても論文の〆切があって、とかいうことがあったら、「明日までにこれ仕上げなきゃいけないから、ちょっと、あとお願いね」と言って引きこもるということはあったかもしれないけども。でも、基本的には家に帰ってきたらもう、あんまりそういう研究のことはしない。「ライフ・ワークバランス」というか、「行って、やる」。研究をする場所はこちらで、こちらは生活の場だから、その中に色んなものを持ち込まない、と。今でもそうですけどね、大体毎日朝から大学へやってきて、夕方までいる。基本的に仕事はここでやってしまう。帰ったらもう、仕事はしない。やっぱり、生活の場に仕事場を持って、そこで仕事を始めると、どうしても仕事と生活がずるずると切れ目なくなってしまうので、できるだけそこは切り分けたいんです。ま、と言いながらも〆切があったらやむをえないので家でやろう、とか、今だと、自転車でやって来てるじゃない?天気がよければいいんだけども、大学にどうしても来なきゃいけない用はない、天気が悪くてバスに乗ってかなきゃいけない、となると「まあ今日はいいかぁ」って、家で仕事をすることもあるんだけどもね。

 だから、子育てによって、研究が妨げられて自分の足を引っ張ったという記憶というのはあんまりない。まあ割と、気分転換になるというのかな。で、気分転換というのも、単に自分のことだけ勝手に趣味をやっているという感じではなくて、やっぱり子どものために何かをやっていて、子どもの成長を順に見ているということでもあったし、結構おもしろくて。私ずっと、「今日は何という言葉を覚えたか」っていうの、メモしていたんですよ。最初は「ぱぱ」と「まま」くらい。「にゃんにゃん」とか「わんわん」とかそういうのが出てきたら、必ずその日付で日記のようなものに書き留めていって。それから二語文が現れた。「ぱぱ、きたー」とか「まま、いったー」とかね。そういう、子どもの言葉の習得過程の観察をずっとしていって。あれも結構楽しかったし、いい勉強にもなったし、って、そんな感じがするね。ちょうどメルロ=ポンティなんかを読んでいた頃だったこともあり、「幼児の対人関係」なんかも興味をもって見てた。子育ては、発達心理学を勉強してみたりというきっかけにもなって、研究とも全く無関係な感じではなかったんだよね。むしろ色々刺激になって、考えるきっかけを与えてくれた。それは、ひょっとすると子どもとの関係だけじゃなくて、カミさん、妻との関係のあり方とか、そういうことについても言えるかもしれないですけどね。

〈3〉

協力しあわないとやっていけない子どもがいる時というのは、コミュニティが作れる時

0コメント

  • 1000 / 1000