先輩子育て院生、浜渦さんに聞く〈1〉結婚するときカミさんが「バイトは全部やめな」と言ってくれた


 今からおよそ30年前、博士後期時代に育児をなさっていた浜渦辰二教授(文学研究科・臨床哲学研究室)に、お話ををうかがいました。今回は、親になられた経緯や、当時の大学院の状況についてです。

(聞き手・文責:かつらのぐち)

浜渦さんが親になられたのは、どのようなタイミングですか?

  私が福岡で博士後期課程にあがるのと同時の、4月に結婚したんです。結婚する前の年の夏に盛り上がって、「その気になったら、さっさと決めないとやる気がなくなるから、その気になった時に決めよう!もう半年後に結婚する!」で、半年後に計画をたてて(笑)。結婚式やろうと思ったら遅くとも半年前くらいには色々準備をしてかなきゃいけないでしょう。当時カミさんは他県にいたから、私が式の段取りからなんだかんだ、修士論文書いてる真っ最中に、着々と準備をしていったわけですよ(笑)。

 決めた時点では、私としても、進学できるかどうか2月の下旬まで分からないし、カミさんとしても、まだ修士論文も書いていない、どこの馬の骨とも分からない、将来性があるかどうかも分からないような存在で。また、カミさん自身も当時働いていた他県から福岡に戻ってこれるかどうか分かるのが3月の半ばくらい。カミさんが戻ってこれない可能性もある、私が進学できない可能性もある。そういう中でもう綱渡りみたいに(笑)。

 ちなみに、カミさんが前まで福岡で小学校の先生やってたから、「教え子達も式に呼びたい」ということで、教会で式をあげたんです。神式だと家族・親族だけだし、披露宴といったらみんなやっぱり1万とか2万とか持って参加するような感じでしょ?子ども達には、とても参加できない。でも教会だとeverybody welcomeだから。教会で式を挙げるために、「キリスト教の中で結婚というものはどのように考えられているか」を教わる講座を受けたけど、結構勉強になりましたよ。

 ま、それで「結婚しよう」という話をしたときに、「子どもは4人欲しいと思ってるんだけども」と私が言った。なんとなくそれくらいいた方が楽しいんじゃないかなと思ってたんですよね。それで、カミさんが年上ということもあるし、早めに持った方がいいだろうなとは思っていたわけです。問題は、それが今日の話の核心に繋がっていくかと思いますけども、私がまだ大学院生で、一応奨学金はもらっていたけども、返却しなきゃいけない奨学金で。ただ、カミさんはもう小学校の教員をやってるから自立できる収入は得てる。そういう状態だったんですね。結婚して翌年の11月に長女が生まれました。「4人くらい欲しい」と言っていたけれど、2人目が生まれたのはそれから8年後。やっぱりつくづく、子どもって作ろうと思って作れるもんじゃないな、とよく分かりました。


当時の大学には、周りにも子育てしている院生というのは結構いらしたのですか?

 修士の時一緒に入ったのが6人。そのうち博士後期課程に進学したのが2人。後の4人は途中でどっか別の道を見つけていった。もう1人が、私と一緒に入ったわけですが、古代ギリシャ哲学やってたその彼が、私の半年後くらいに結婚してすぐ子どもができた。ところが、彼のところは奥さんが仕事を持ってなかった。だから彼の方が、自分で稼がなきゃと、大手の塾に行き始めたんです。やっぱり家計を支えなければという感じで、塾の時間をだんだん増やしていった。そしたら、人気があったんでしょうね。塾の方から誘われて、専属講師になった。そうするとどうしても研究がおろそかになって、結局退学した。ただひょっとしたら、塾のほうが私の給料よりもいいと思う(笑)。研究者の道は諦めたけども、講師として他県まで何度も派遣されたりしていたし、それから、「古文」担当で。「ギリシャ」とは随分距離があると思うんだけども、「古い」というところは同じ。現代語とちょっと距離がある、そういうところに関心があるのかもしれない。

 その彼が、同じくらいで子どもができて、ただ彼のほうはそうやって研究職の道は諦めていった、という感じ。それ以外にというと、私よりいくつか上に、もう単位取得済退学をして、アルバイトをしながら、とかそういう人もいるんだけどね。

 だから私が、在学しながら、子育てをしながら、研究者の道を歩んだという、ひょっとしたら唯一かもしれない。それは、何よりもカミさんが既に仕事を持ってて、研究ができたってことでもあるんだよね。それがなかったらやっぱり私も、稼がなきゃいけないということになって、色々アルバイトを引き受けているうちにだんだん研究がおろそかになって、という道を辿ってたと思うね…。

 私もアルバイトは色々、既にやってたわけですよ。元々貧乏学生で、母子家庭だから。そもそも大学へ行くときも大変だったけども、しかも大学院へ行くって言ったらね(笑)。やっぱり周りの親戚なんかが「母子家庭で子どもを大学院まで行かせてどうするんだ?」とかね、そんな声があちこちから言われたりして。ま、それでも奨学金をもらって、大学院へ行けるようになって。ただ、修士の奨学金は少ないんだよね。2万とかだった。それだけじゃやっていけないから、アルバイトは色々やった。

 それを、結婚する時にカミさんが、「今やってるバイトは全部やめなさい」と。カミさんは自分の仕事を、「結婚してもやめない、子ども産んでもやめない、そういうことをさせてくれる人とじゃなきゃ結婚しない」というので私を選んでるから(笑)。私に「もうやめて、研究に専念しなさい」と言ってくれたがために、研究しながら、あとは子育てに専念して、という感じで生活が始まったわけですね。

 私は11年間、カミさんの扶養家族。結構ね、それをあちこち行って説明しなきゃならなかった。「主たる生計維持者っていうのは妻なんです、私は奨学金をもらって生活してるだけだから、扶養家族に私がなってる」っていうのを。まあ、珍しがられましたね。それでもよかったのは、それによって私があんまり卑屈にならなくてもいいような配慮をカミさんがしてくれてたっていうのがあるかもしれないね。「あなたは今大学院生で、とにかく研究に専念すればいいんだから」って。ま、「ただしその分将来はちゃんと稼いでね」っていう主旨だったかもしんないけどね(笑)。

〈2〉行って、やる。できたものを、出す。

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