「いま、ここに子どもが来たら:妊娠・育児をめぐる眼差しと経験から考える大阪大学」ぶじおわりました

 先日の男女協働推進イベントに参加してくださったみなさま、気にかけてくださったみなさま、どうもありがとうございました!

 わたし自身、参加できてとてもよかったです。第二部については、もすこしゆっくり考えてまた感想をかきます。

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 第一部講演「写真表現から読み解く、妊婦への眼差し」、ほんとにおもしろかったです。

 他者にだけでなく自分自身にさえも、「見せたいものだけ見せる」ことが、技術によってどんどん可能になる。わたしはそれを、しんどいことやな、とおもいます。 

(でも写真系の技術向上はしんどいけど、画家が鍛錬して「見せたいものだけ見せる」技術を向上してくことは、ぜんぜんしんどくない。これはただの趣味なのだろうか。) 

 最後に風景のなかに居る妊婦裸体の写真をいくつか見せていただきました。それまでのファッション紙グラビアとして、もしくはSNSに投稿されるものとしての「マタニティヌード」とはことなって、それがなにか一種の安心感のようなものをわたしに与えたのは、「風景」には、見られることを意識しない、無防備な何ものかがかならず含まれているからかもしれません。

 見たくないものも見てしまい、見せたくないものも見せてしまう生身が、どこかの風景のなかにどうしようもなく居てるてだけでお腹いっぱい感あるから、見せたり見せられたりは、すごく時々だけで(が)わたしはいいな、と思いました。

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 第三部の哲学ウォークも楽しかったです。

 イベントで出たことばが一言ずつ紙にかかれてくじになってて。一人1つひいて、そのことばとともにキャンパスを歩きます。ことばにぴったり来ると思った場所で止まって、他の人から質問をうける。うけた質問のなかから1つ、考えたいものを選ぶ。

 わたしが引いたくじに書かれてたんは「後回しにされる存在」。

 選んだ場所は、古いプラスチックバケツがさかさま向いて、道路脇の薮に放置されてるところ。何もされてないものより、その場しのぎの対応をとりあえずされたもののほうが、より後回しにされる存在やと思ったから。

 選んだ質問は、「このバケツに最適な場所はどこか?」。

 そのあと歩きながら考えていたのは、「この」バケツに最適な場所は、「この」バケツとつきあってみなければよく分からんということ。最初は即座に「ゴミ箱」と思ったけど、それは「古い、取手こわれかけの使われてなさそうなバケツ」に最適な場所であって、「このバケツ」に最適かどうかはわかりません。

 そして「つきあってみる」というときに、言葉が得意でない存在とつきあうことを、自分がいかに避けてきたかに気づきました。

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 濃いイベントだったので、すぐにアンケートに書ける感想がなかったかたも、もし何か思うことや考えていることがあったら、よかったらお気軽にcontactにある連絡先からメイルくださいね。主催してくださった先生方や登壇者の方々にもお伝えできますので。

 それでは、ほんとうにどうもありがとうございました。年度内に、茶話会開催しようと思います。また告知します。

(かつらのぐち)

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