浜渦さんのインタビュー後記

 浜渦さんが「パマ」やったというエピソードは、以前からちらほら伺っていた。でも、今回ずっとまとめてお話を聞くと、こころに残るかたちが、「パマ」のエピソード、ではなくて、浜渦さん、になった。


 とくに消えない印象は2つ。1つは、「カミさん」とお互いに気づかいあってやってきはったんやな、素敵やなって。「気づかう」の定義が自分のなかで変わったと言ってもいいかもしれない。

私は11年間、カミさんの扶養家族。結構ね、それをあちこち行って説明しなきゃならなかった。[…]まあ、珍しがられましたね。それでもよかったのは、それによって私があんまり卑屈にならなくてもいいような配慮をカミさんがしてくれてたっていうのがあるかもしれないね。
浜渦さんに聞く〈1〉

 誰かを「気づかう」というのは、「相手にいやな気持ちをさせへんようにする」とか、「相手を嬉しい気持ちにできるようにする」みたいな、前もって少しだけ未来の相手を先取りするような何かやなくて、こんなふうに、まさに今、とか、少し遅れて、あるいはずっと後になってでも、現実の自分や、自分と相手との関係を「どうしてかな?」って自分に問うてみる、モニタリングしてみる、その姿勢のことなんちゃうかなあ。

 こうした「気づかう」は、始めるのに遅すぎる、ということがない。今からでも、できること。わたしも、大切な人たちを気づかえるときが、これからの自分の人生のなかに多くあるといいなと、思う。


 もう1つの印象。

「半年に1本、論文を書く」というノルマを自分で課して[…]その〆切に合わせてあきらめちゃうっていうか。「まあ、私が今できるのはこれぐらいだな」っていう感じで(笑)。もうそこで見切り発車になっても、とにかく〆切っていうのがあるんだから、それまでにできることしかしない、って感じ。それまでにできたものをとにかく出す。
浜渦さんに聞く〈2〉
「その気になったら、さっさと決めないとやる気がなくなるから、その気になった時に決めよう!もう半年後に結婚する!」
浜渦さんに聞く〈1〉

 以前、カウンセラーの先生に、「1歩ふみだすと、何かが終わって、何かが始まる」と言葉をかけていただいたことがある。わたしはそれを聞いて、ああ変化ってそういうことやなあと思った。浜渦さんは、何かを終えること、何かを始めることに、潔い。浜渦さんは、変化していく景色を楽しめる、歩きながら考える哲学者なんや、と感じた。(ちなみに、臨床哲学に以前までいらした教員の中岡さんは、よく比喩で「走りながら考える」と言うてはった。)


 ご多忙のなか、拙いインタビューに快くお付き合いくださいました浜渦さんに、心より感謝いたします。また、読んでくださったみなさま、どうもありがとうございます。

 実は、ご就職後に、お子さんを連れて単身赴任なさっていたときのエピソードも伺っています。こちらも、またぼちぼち、ぜひみなさんのお目にかけられるようにします。

 それでは、また。

(かつらのぐち)


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